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渋温泉の「金具屋」に
行ってきました、以前
テレビで館内の
紹介をしているのを見て
面白いつくりなので、
一度行ってみたいと
思っていたのです。
今年中学時代の同級生で
毎年旅行をしているのですが
幹事が回って来たので
渋の金具屋にいくことにしました。
ずーっと昔は松代藩出入りの鍛冶やさんだったのが、宝暦四年に
裏山が崩れ、渋はほぼ半分が土砂に埋まりその災害の復旧中に
敷地内より温泉が湧き出たので、それを機に宝暦八年(1758)
宿屋にしたそうです。
前身が鍛冶やだったため当時の松平藩主から「金具屋」と命名されたと
いうことです。
今年で創業247年になるそうです。
なかなか凝っていますよね。
階段いろいろ撮って来ました、なかなか凝っていますよ。
爆弾可楽
笑寿亭で昼席の真を打っていた
(さん馬)あてに大店の箱入り娘が
かよってきていた。その娘は
合津藩御用の塗物問屋丸屋惣兵衛の
ひとり娘だった。
できちゃった婚で一緒になる、
丸屋は会津藩の江戸詰用人高津新八を
接待して会津塗を少しでも多く仕入れ
たくお願いするがなかなかしぶい顔で
座がいっこうにはづまない、
婿になった鎌三郎がみかねて座興に
落とし噺を披露する。
高津おおいに気に入り
ここで鎌三郎こと可楽と高津の付き合いがはじまる。
姑との仲がうまくいかず去り状を出して出て行く、夫婦わかれをしたあとも
高津との付き合いはつづくが,
会津藩と薩長の戦いで高津に頼まれる
「おぬしに頼みというのはなこの爆弾をあちこちの寄席に仕掛けて
もらいたいのだ」いったんはことわったが、たっての高津の頼みで仕掛けるも
いそいで又取り除くが、新政府の役人につかまり、酷い拷問をうけるが
誰に頼まれたのか口をわらず寄場に送られふた月のち枯木のようになって
綿くずのなかに沈んだ、
そうして九月十一日の日暮れがた、ひっそりと息を引きとった。
「ふらふら遊三」
長重は五明楼玉秀という芸名で高座をつとめていたところ戸田のご隠居にみつかる。
長重は落とし噺がなにより好きで寄席にかよっていたがとうとういちばん
お気に入りの玉すけの弟子になる。
寄席にでていたのを見つかってしまったので戸田に誘われていやいや彰義隊に
加わるがいよいよ戦になり逃げ出す。
それから遊三は次ぎから次ぎにと働き口を変えて行く
が とうとう本望の落語家になり円遊という大名跡にまでになる。
中村歌昇改め
三代目中村又五郎
息子さんの中村種太郎改め
四代目中村歌昇
襲名披露がありました。
昼の部が始まる前十時から
中村福助さんのトークがあり
お話上手にはびっくりしました。
気さくに歌舞伎のいろいろ
あまり知られていない
歌舞伎のかた「曽我対面」の五郎と十郎がぐっと決めるかたを(なすびのかた)
(とんびのかた)と云うとか・・・・
「一條大蔵ものがたり」一條大蔵長成の吉右衛門さんは始めてなので
菊五郎さんとか他の役者さんと比較しながら見せて頂きました、
吉右衛門さんの一條大蔵もなかなか良かったですね。
ぼけている様に見せかけて、ときどきみせる鋭い目つきなど難しい役がら
らしいです。
南総里見八犬伝にでた海老蔵さん左の目がまだすこし怪我のあとが
のこっているようでした。
団十朗家は江戸時代から目千両と言われているお家柄ですから
しゃんと元どうりになると良いですね![]()
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